十勝屋ブログ [TOKACHIYA]
 
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最新の10件を表示
 
 
ソメイヨシノに無事を祈る

今から40年ほど前、私が高校の修学旅行で見た東京の景色は、どんよりとした梅雨雲が漂い、しとしと雨が降っていました。
初めて経験する湿度の高さと特有の空気の匂い、建ち並ぶ家と家の間隔も恐ろしく狭い。

北海道しか知らなかった私は、あまりの環境の違いに相当ショックを受けた記憶があります。
そんな東京に移り住んで、はや25年。「住めば都」とはよく言ったもので、JR山手線の駅ごとに異なる風景を眺めながらの散策も、楽しみの一つになっています。

家内と二人、親戚も知り合いもいないこの地で授かった息子たちは、すっかりここに根を下ろしています。今秋から、長男は巡査として都内で勤務することになりました。
ともすれば命を盾にする仕事に就く息子に「つらかったら、いつでも帰って来い」と言いたい気持ちを抑え、「じゃあ、頑張れよ」と声を掛けるのが精いっぱいでした。

近所の都立小金井公園を走る私の後ろで、家内がこぐ自転車の前かごに乗り、「パパ、1等賞!」と言ってくれた幼い日の光景を、昨日のことのように思い出します。
公園の坂を登ると、立派なソメイヨシノの木があるのですが、桜の咲く頃、家族みんなでよく見に来たものです。

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トウキビと夏の思い出

今年もここ銀座に、十勝からトウキビが届きました!
眺めていると、遠い少年の日のことを思い出します。

夏休みのたびに私は弟と2人、小樽の蘭島という小さな町にある祖母の家に泊まっていました。
幼い頃からぜんそくで体が弱かった私のため、両親が「海風は身体に良いから」と行かせてくれました。

そこで私は弟と一日中遊び回っていました。
海で泳いだ後は、祖母が作ってくれたおにぎりと麦茶、そして採れたてのトウキビの塩ゆで。何よりのごちそうでした。

小学5年くらいだったと思いますが、それまで「危ないから」と、子供だけでボートに乗って海に出ることを許さなかった父から、「弟と2人で行ってこい」とOKが出ました。
男として認めてもらえたような気がして、うれしかったのを覚えています。

不安とワクワク感が入り混じった気持ちで櫓(ろ)をこぎました。
少し沖に行くと、巨大生物のように揺らめく海藻がボートにまとわりつくかのように漂っていました。
弟は「怖い」と泣きそうに。
私は「何ともない!」と強がって見せていましたが、本当は私も怖くて泣きそうでした。

1時間ほどの私の処女航海は無事に終わりました。
にぎわっていた海の家や焼き貝の香り、真っ黒に日焼けした監視員の名物おじさん−。
十勝から届いた「トウキビ」は、そんな夏の思い出も一緒に連れて来てくれました。

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「美食探訪」銀座でおいしい北海道

旅行会社クラブツーリズム(東京)が主催する食事イベント「憧れの美食探訪」の会場として、十勝屋がクローズアップされました。
5年ほど前から毎年行われているイベントは「東京にいながら郷土料理などを堪能できる」という触れ込みでレストランや老舗料亭、話題の店を巡るというもの。

北海道の旬の食材を提供する十勝屋も数年前から会場に選ばれているんですよ。
今年はクラブツーリズムのサイトで動画まで紹介された効果もあり、7、8月の全席が完売したんです。「反響がすごいので、9月にも追加日程を組んでもらえないか」と担当者から相談されたほどです。
飲食店がひしめく東京・銀座では、本当にうれしい限りです。
年配のお客さまも多く、この企画に必ず来てくださる常連のお客様もいらっしゃるんです。
迎える私たちも必然的に気合が入ります。

食事会では、十勝屋の支配人が十勝と地元産食材の素晴らしさについて話し、料理長と私が料理、ワインの説明をします。今回のワインは先日逝去した丸谷金保元池田町長への哀悼の意を込め、「十勝ワイン」をセレクトしました。
来店されたお客様が「今日は楽しかった」と、笑顔で帰る場面。
それは私たちにとって幸せを感じる瞬間です。

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出会いに感謝

高校卒業後、札幌のホテルに入社した私を待っていたのは、皆がそうであるように、社会人としての厳しい洗礼でした。

最初に配属された中華レストランは、腕利きの職人集団。
地元のみならず、わざわざ東京からお越しになる常連客も多かった繁盛店で、接客や電話応対、お客さまの顔・名前・嗜好(しこう)など、覚えることも目白押しでした。

完売したメニューを注文され、「あいにく売り切れました」と答えると、「それで終わるの?代替品をお薦めするのがあなたの仕事でしょ」と、お客さまに指摘を受けました。敬語もしどろもどろの電話応対では、「君では話にならないから上役を出しなさい」と叱られました。後片付けも要領が悪く、そのたびに先輩に注意されました。

疲れ果てて寮に帰ると、酒に酔った先輩に「お前と一緒の部屋にいるやつが気に食わない」と、いきなり殴られたこともありました。

退職を決めた入社3カ月後の夜、寮に帰ると、母からの小包が届いていました。中には私の好物と励ましの手紙が・・・。部屋で一人、声を上げて泣きました。

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今も変わらない銀座の光景

平成が幕を開けた1989年、私は札幌のホテルから転勤で、ここ銀座のホテルに来る機会を得ました。当時、そのホテルは活気に満ちていて、夕方になると、着飾ったホステスさんや着物姿のママさんたちがレストランに来店されました。
もちろん、殿方と同伴です。
ラウンジには大きなバッテリー付きの携帯電話を持った、こわもてのお兄さんが大勢。
まさにバブル真っただ中、100席以上ある店は曜日に関係なく大盛況でした。

それから20年余りたった今、銀座は大きく変わりました。
当時、ホテルマンの憧れだった「ホテル西洋銀座」や大手デパートが姿を消しました。
クラブやスナックでにぎわっていたビルは居酒屋チェーン店になり、各業界の激安店の看板が目に付きます。
当時からは想像もつかなかった変わりようです。

ただ、変わらないものもあります。それは お客さまです。
「十勝屋」にお見えになるお客さまとの会話で「世界各国に旅をされて、各地のおいしい物やワインを知っているな」とか、「遊び上手だな」と感じるとき、やはり銀座のお客さまの質の高さは変わらないと思います。

変わらないものがもう一つ。それは夜明け前の銀座です。人通りの多い日中にはできない道路工事やビルメンテナンス、塵芥(じんかい)収集。きらびやかな表舞台を支える人々の光景は今も同じなのです。

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商品は熱意で変わる

ここ東京では毎年、定期的に大規模な新商品の展示会や品評会が開催されています。

国内外の自動車やIT関連など、ジャンルはさまざまですが、飲食業界関連のイベントも行われています。
そこで気付くのは、やはり決め手となるのは売る側の「熱意」ということです。

各出店ブースには、お国自慢を意識した産品、他県との差別化・地元愛をうたった物などが所狭しと並べられていて、試食をすると それぞれそのクオリティーの高さに毎回驚かされます。

その一方、ややもすると商品が画一化され、何となく商品にしてしまった感のある物も目に付きます。

出店者の面々もさまざまで、生産者自らが率先して来場者に声を掛けているブースもあれば、営業マンが業務の一環として何となく担当しているように見えるところもあります。
せっかくの商品も売る側の姿勢一つで印象が大きく変わってくるのだと思います。

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未来を信じて歩み続ける

「念ずれば花ひらく」−。これは仏教詩人、坂村真民(しんみん)の名句です。

仕事において、私にもこの瞬間が3年前に訪れました。
私が敬愛してやまない料理人の斉藤一昭さん。
20年ほど前、彼は当時私が勤めていた銀座のホテルにやって来ました。
「厨房(ちゅうぼう)は厨房、ホールはホール」という、妙なセクショナリズムがはびこっていたレストランで、そんな狭義にとらわれず働く彼の目は、常に「お客さま」を見ていました。

喜ばれる料理を作るため休む間も惜しんで厨房に立つ彼の姿。
「こんな人と、もっと一緒に仕事ができたらどんなに幸せだろう」と思いながら月日は流れ、いつしか互いに全く別の道を歩んでいました。
それが20年の歳月を経て、運命の巡り合わせと多くの方々の尽力のおかげで彼とまた、この「十勝屋」で仕事をする機会をいただけた。

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目的をもつ。ということ

今から30年ほど前、上司に無理を言い、米ロサンゼルスにある飲食店を2週間ほど訪れる機会がありました。その店は上司の幼なじみが営んでいました。

オーナーは高校卒業後、土木作業員として働きながら日本で資金をため、憧れの国・アメリカに渡り店を立ち上げたそうです。
職場でその話を聞いた私は、居ても立ってもいられなくなり、「ぜひ会いに行きたい」と上司にお願いしました。

そこで働いていたのは中国人とベトナム人の青年、そしてメキシコから来た15歳の少年の計5人ほど。繁盛店の舞台裏である厨房(ちゅうぼう)の忙しさは相当なものでした。

メキシコの少年の夢は、自身もアメリカで飲食店を開き、当時内戦状態だった祖国から両親を呼び寄せること。
ベトナムの青年もアメリカでシステム・エンジニアとして成功し、両親に楽な暮らしをさせたいという夢を持ちながら働いていました。

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「当たり前」に感謝しつつ 被災地を思う

あの日、テレビを見て凍りついたのは私だけではなかったでしょう。

畑の上を津波に押し流されていく家や車、何もかもが信じられない光景でした。
その日、私は銀座の店にいました。夜になっても街は混乱していました。
表通りはまるで魚の群れのように人があふれ、道路は大渋滞で1時間たっても全く進むことのできない車の列がどこまでも続いていました。

日本のみならず、世界に衝撃を与えた東日本大震災から、3年の月日が流れました。
被災地にはいまだに元の暮らしを取り戻せず苦しんでいる住民、わが身を惜しまず原発事故の復旧に当たっている作業員がいます。
そして、家族や友人、財産、職場、自分の大切な過去、全てを失ってしまった人々も懸命に生きています。

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出会いにワクワク

全ての出会いに感謝しながら、今年も新しい年の幕開けを迎えました。出会いは「人」だけに限りません。「本」「映画」「音楽」など、人生の中でその人の目をキラっと輝かせる全てのものです。その人の心に深く刻まれて、ときに心の支えに、そして礎となっていきます。

 私の場合、最初のそれは音楽でした。父がいつも聴いていたクラシックの名曲の数々。小さい頃、体が弱かった私は暇さえあれば部屋で一人、父が持っていたレコードを聴いていた。今でも好きな曲を聴いていると心が癒やされ、静かな力が湧いてくる。母が読んでくれた「本」もその一つです。童話「幸福の王子」は、子供心に「人に尽くす」ことの尊さが心に残りました。

自然が織り成す「風景」もしかり。
一昨年、会社の研修で訪れた清水町の「十勝千年の森」。
目の前にある丘に思わず駆け上がると、太陽の光を浴びた木々の葉が神々しいほどの光を放ちながら風に揺れていました。
アイヌの人々が「神」を感じる気持ちが分かるような気がしました。

「十勝屋」には年間延べ1万5千人以上のお客さまにご来店いただいています。
お迎えする店の仲間たち、毎日届けられる食材の数々、小さな店ですが実に多くの人たちに支えられています。
今年はどんな出会いが待っているのか。いくつになってもワクワクしています。

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ソメイヨシノに無事を祈る(09/02)
トウキビと夏の思い出(08/12)
「美食探訪」銀座でおいしい北海道(07/22)
出会いに感謝(07/01)
今も変わらない銀座の光景(06/10)
 

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